2006年11月18日
◆娘にあやまる。
「ごめんね。そんなに大事なものだと知らずに」
昨日の朝、娘に勇気を出してあやまりました。
何が起こったかといいますと・・。
娘が大変大事にしていたビーズがたくさんあったのですが、それを弟の8歳の息子が、全部、クラスの友達にあげてしまいました。
娘としては、まさか全部あげると思っていなかったため、激怒!
一昨日の夜、娘が「誰にあげたのか」とリビングで弟を追求する声、また、弟はゲームをしながら、まったくそれをちゃんと聞いてないため、娘がかなりいらだっている様子が、私の書斎にも聞こえてきました。
私は、書斎からリビングに行き、「なにかもめてんの?」と娘にたずねました。
「(弟が)ぜんぜん、私の言うことをきかない!」
それに対して私は笑ってしまったのでした。
息子は2年生ですから、言うことを聞かないことは日常茶飯事。いちいち腹を立てていては身がもちませんので、『なんだ、そんなことか』と受け取りましたので、その場をうまく包容しようと思って、笑ってしまったのですが、それが娘をさらに怒らせてしまいました。
しばらくして
「パパ、さっき、笑ったやろ」
「むっちゃ、傷ついた」
と言って、自分の部屋に閉じこもってしまいました。
ちょうど夕飯前。「ごはんだよ」と言ってもしばらく出てきません。
妻もまだ帰宅していませんでしたので、まったくなすすべなし。
「一言の重み」を反省させられました。
時間がたつほど、気になる私。
『ここは、大人として、非は非と認め、あやまるべきだ』
という気持ちと
『しょせん、子ども同士のけんか、そこまでしなくても』
という気持ちが葛藤します。
しかし、よくよく考えてみますと、息子が、姉の大切なものを、知らなかったとはいえ、無断で、簡単に人にあげてしまうというのはよくない。
それが自分にとって大事なものであれば、もし、自分が同じことをされたら、私も本当に腹を立てるでしょう。
息子にも、人を尊重するということを教えないといけない。
ならば息子が見ている前で、娘に謝ろうと決心しました。
しかし、なかなかタイミングが見出せず、その日は言えないまま。
翌朝、なんとなく冴えない娘の顔。
『どこであやまろうか』
だんだん、登校時間、出勤時間が迫ってきます。
そして、出勤の直前、洗面所で髪の毛を梳かしている娘の後姿に
「ごめんね。そんなに大事なものだと知らずに」と声をかけることができました、
息子も、靴をはく直前、その言葉を聞いていました。
昨夜からの胸のつかえが取れた感じで、何か大切なことを教えてもらったような感じでした。
まさに「子どもに何かを教えるか」ではなく「子どもから何を学ぶか」
親といえども未熟な人間。
完ぺきではない。それを自覚すること。
子どもと接する中で日々成長していくことができます。
また、もっと成長しないといけない。
その分だけ子どもも育つのでしょう。
それを痛感した出来事でした。
昨日の朝、娘に勇気を出してあやまりました。
何が起こったかといいますと・・。
娘が大変大事にしていたビーズがたくさんあったのですが、それを弟の8歳の息子が、全部、クラスの友達にあげてしまいました。
娘としては、まさか全部あげると思っていなかったため、激怒!
一昨日の夜、娘が「誰にあげたのか」とリビングで弟を追求する声、また、弟はゲームをしながら、まったくそれをちゃんと聞いてないため、娘がかなりいらだっている様子が、私の書斎にも聞こえてきました。
私は、書斎からリビングに行き、「なにかもめてんの?」と娘にたずねました。
「(弟が)ぜんぜん、私の言うことをきかない!」
それに対して私は笑ってしまったのでした。
息子は2年生ですから、言うことを聞かないことは日常茶飯事。いちいち腹を立てていては身がもちませんので、『なんだ、そんなことか』と受け取りましたので、その場をうまく包容しようと思って、笑ってしまったのですが、それが娘をさらに怒らせてしまいました。
しばらくして
「パパ、さっき、笑ったやろ」
「むっちゃ、傷ついた」
と言って、自分の部屋に閉じこもってしまいました。
ちょうど夕飯前。「ごはんだよ」と言ってもしばらく出てきません。
妻もまだ帰宅していませんでしたので、まったくなすすべなし。
「一言の重み」を反省させられました。
時間がたつほど、気になる私。
『ここは、大人として、非は非と認め、あやまるべきだ』
という気持ちと
『しょせん、子ども同士のけんか、そこまでしなくても』
という気持ちが葛藤します。
しかし、よくよく考えてみますと、息子が、姉の大切なものを、知らなかったとはいえ、無断で、簡単に人にあげてしまうというのはよくない。
それが自分にとって大事なものであれば、もし、自分が同じことをされたら、私も本当に腹を立てるでしょう。
息子にも、人を尊重するということを教えないといけない。
ならば息子が見ている前で、娘に謝ろうと決心しました。
しかし、なかなかタイミングが見出せず、その日は言えないまま。
翌朝、なんとなく冴えない娘の顔。
『どこであやまろうか』
だんだん、登校時間、出勤時間が迫ってきます。
そして、出勤の直前、洗面所で髪の毛を梳かしている娘の後姿に
「ごめんね。そんなに大事なものだと知らずに」と声をかけることができました、
息子も、靴をはく直前、その言葉を聞いていました。
昨夜からの胸のつかえが取れた感じで、何か大切なことを教えてもらったような感じでした。
まさに「子どもに何かを教えるか」ではなく「子どもから何を学ぶか」
親といえども未熟な人間。
完ぺきではない。それを自覚すること。
子どもと接する中で日々成長していくことができます。
また、もっと成長しないといけない。
その分だけ子どもも育つのでしょう。
それを痛感した出来事でした。
Posted by 鷹司 at 15:37│Comments(2)
│日記
この記事へのコメント
こういう絵本、もうすぐ新刊も出る
以前、書いたかもしれないですが・・・。
わたしの後ろを歩く親子。子供が、点字ブロックについて「これ何?」と、親にたずねた。親は、「滑り止めだよ」と答えた。わたしは、”この親、本当にそう思ってるの?どうして、きちんと教えないの?前に、白い杖をついた視覚障害のわたしが歩いてるから答えづらいの?”と、怒りに近い思いをした。最近は、点字も生活になじんできたが、もっともっと身近に自然に点字があれば良いのに。点字のついている絵本(色も絵もきれい)、下記のネットショップにあります。こういうポピュラーな所で扱うのは珍しい。点字本、本屋さんで売ってないでしょ。
にじいろのもり
http://www.bidders.co.jp/user/3662077
以前、書いたかもしれないですが・・・。
わたしの後ろを歩く親子。子供が、点字ブロックについて「これ何?」と、親にたずねた。親は、「滑り止めだよ」と答えた。わたしは、”この親、本当にそう思ってるの?どうして、きちんと教えないの?前に、白い杖をついた視覚障害のわたしが歩いてるから答えづらいの?”と、怒りに近い思いをした。最近は、点字も生活になじんできたが、もっともっと身近に自然に点字があれば良いのに。点字のついている絵本(色も絵もきれい)、下記のネットショップにあります。こういうポピュラーな所で扱うのは珍しい。点字本、本屋さんで売ってないでしょ。
にじいろのもり
http://www.bidders.co.jp/user/3662077
Posted by ふとそら at 2006年11月18日 16:04
子から親へ、親から子へ「ごめんと謝る言葉」、「ありがとうと言う感謝の言葉」を自然と言うことは、容易なようで中々出来ませんね。子供から親へ自らの非を認め謝られたとき、親はわだかまりを捨て全てを許すことが出来ますが、親から子へ謝る言葉は、それ以上に子供にとって心に残る尊いものと思います。本当に謙虚なお話をありがとうございました。
Posted by 伊藤典一 at 2006年11月19日 22:25